やれることとやりたいこと

手段と目的みたいな話は結構しょっちゅうでてくるので、まあせやなあって感じはしながらみてるんだけど、どこかに危機感は持ってるというか、自分が手段のプロフェッショナルじゃなくなる未来は遅かれ早かれ必ずくるのかなあ、とは思ってる。

僕が思うエンジニアとはっていうのは基本技術手段のプロフェッショナルだと思ってるので、以前勤めてた会社のリードエンジニアや経営者から「技術は手段」っていうのを言われたときは敬意がないなあ、と感じることは多かった。し、それは僕が固定概念に縛られていたからなんだろうとは思うけど、そこから一歩先に進んで自由にやろうぜ!みたいになるにはどうしても専門外の知識だったり、もう一つの特性が必要になる気がしてる。

僕が尊敬しているそういう人たちは技術に詳しいだけじゃなくて、経営の知識だったり会社を作ったりバイアウトしたりっていう経験をもって先に進むので、仕事をしながら自由に生きるために戦っている気がする。ただあの姿勢を僕がしたら間違いなくプレッシャーで死ぬのでできないなあ、とも思う。

でもこのまま技術手段のプロフェッショナルとしてだけで生きていけるか、というとそんな長くもないのかな、とも思ったりはしてる。個人的にコードかいたりそういう勉強するのは好きだし、今後もキャッチアップしながらやっていきたいけど、昔ほどじゃないにしろ、エンジニアという仕事だけに振り切るのはとても難しいな、という自分もいる。その尊敬している人たちを見たときに「僕はあなた方は尊敬するけど、あなたたちみたいにはなれないと思います!」ってなってる。

僕がそういうこと感じるのって機械学習とかAIとかの話題がでて、周りでわんやわんや言ってる人たちがいるからだったりするんだけど、そういうのがプロダクションで導入されてるのどのくらいあるのかなーって感じはするし、導入できたとしておいくら万円するのってのはあるけど、それって車の工場でネジを止めてたおじさんが機械がはいることでクビになった、みたいそれとそんな変わらないのかな、って最近感じるようになった。そういう危機感は常にある。そういうとき僕ぐらいのエンジニアは間違いなく淘汰されるんだろうな、ってのは思う。

僕は感受性が非常に高くて、それは自覚もしてるし上司にも指摘されてる。それってビジネスシーンじゃネガティブな要因になることは割とあるんだけど(チャットコミュニケーションとか)一方で別なクラスタでは最大の武器になる。

一応エンジニアとしてお給料もらってお仕事させてもらっている以上プロ意識は必要だし、僕は表向きはチーム開発含む技術手段のプロフェッショナルとして生きようとは思ってるけど、裏ではこっそり僕のその表の顔と感受性の高さという特性が武器になるものってなんだろうっていうのを必死に模索してる。今はまだ土台がようやくつくりかけれたところだけど、僕が融合地点を見つけれたとき、始めて自分の中でこの辛いことしかない世界のなかで「僕は生きてていいんだ」って思えるのかもしれないなあ、と思ったりする。生まれてこのかた30年間ずっとつらいなーって感じることばっかで、結構得ることを諦めてた実感だったりするので、やっぱりどっちもこつこつやっていくしかない。

そんなこといいつつ、未来に起こることなんて誰にもわからないだろうしそもそもAIが実戦投入されるのはいつなんじゃいってのはあるんだけど、その心配をしながらつらいつらいっていって生きるより、来るべき未来に向けて今できる精一杯を頑張りつつ、未来を見据えて土台作りをしていくのがいいのかなって。

最近いろんな経営者の方から未来の話を聞いてて、そんなことを思った。