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肩身の狭い思いは仕方なかった身から思うこと


@srockstyleです。

あきこさんがこんな記事をあげてた。

あー、ね。っていう感じ。

個人の意見としていうと、健康で若ければ肩身の狭い思いはしない、というわけでもないと思う。

ここではお年寄りと女性にフォーカスして書かれているけど、僕も十分肩身が狭かった。

僕の経験談

僕はてんかんという持病がティーンエイジャーのときからずっとあって、薬で抑えても抑えても無理をしなければならない日々を過ごしていたので、周りと同じようにできないのがしんどかった。死には直結しないけど不治の病と言われて正直今をしのげばどうにかなるという希望もなかった。今は薬が聞いているしコンディションも問題ないので安心だけど、気はまだ抜けない。疲れがたまったりストレスで眠れなかったりするとすぐに発作がおきるから。

最初に勤めた会社ではサーバ・インフラエンジニアとして働いたけど、どうしてもまともに睡眠がとれない深夜業務や深夜の緊急対応、障害による数日にわたる泊まり込みの日々を挟むと緊張がとけたとたん発作は発生する。道ばたで意識を失ったところを発見されて救急車で運ばれたりするのはまだ良い方で、電車の中で倒れて電車を遅延させてしまったときはマジで怖かった。あとからいくら請求されるんだろうとか思ったけど、幸いそういうことはなかった。

会社もそういった僕の体質を責めることはなく、ただ技術者としての限界(おそらく体調的な)のを指摘して自分からの退職をすすめただけだった。僕は次の日、退職届けをその会社にだした。

僕の経験から言えること

社会っていうのは正直健常者と同じレベルでなにかができないと厳しい世界ってのは感じる。あきこさんの記事はおとしよりや妊婦さんが公共の施設を使う話だけど、僕からすれば若いから大丈夫という印象を持たれるだけに、自分の状況を理解してもらえないことがかなり辛かった。でも生きていくためには働かなきゃいけないし、その後は鬱病も重なって、まるで全部が自分に対して敵意をもっているように見えたこともある。

そしてそれを責めるひとは存在した。

僕が体調を崩すたびにきつい言葉であたるひと、上から目線で最悪だ、お前は社会人に向いてないといいきるひとはいた。

そういうのが重なるうちに、僕は自分がこの病気を持ってしまったことや、鬱病になってしまった自分の弱さをすごく恥じるようになり、会社に行くたびに肩身の狭い思いをしていた。休んでしまった次の日は辛くて辛くて、正直世の中はここまで自分に優しくないのか、それともこの厳しさが普通なのか自分が甘ったれているだけなのか、自問自答を繰り返してた。

僕のてんかんはある日突然発祥し、突然倒れるようになるという理不尽なものだ。お年寄りだったら認知症に近いのかもしれない。中学のとき突然倒れ、それから病院にずっと通ってる。それが15年間、ずっとだ。それでも理解されないと知ったときはね。

それでも僕が希望を持てたのは、そんな自分でも受けいれてくれる場所は多少なりともあるということだ。だからといって窓際においやったりせず、僕の体調を気遣い、問題ないレベルの業務ができる環境を与えてくれ、結果次第で評価をする。そういう場所に出会った時、自分はまだ生きていてよいんだ、と心の底から思うことができたものだった

本当に自分がいつ当事者になるかわからないものだ。交通事故にあうかもしれないし、半身不随になるかもしれない。僕はてんかんで済んだけど、本当はあれから寝たきりだったかもしれない。

だから健康体でいられるみんなはそういうハンディを隠れてもっているひと、同僚、家族、友人がいたらきちんとサポートしてあげてほしいと思います。