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社会人になってかかった鬱病を三十路前で克服したエンジニアが六年かけてやってきたこと

こんにちは。@srockstyleです。

このたび、鬱病の薬を完全に脱し、ふつうのひとになりました。

今日は、その六年の体験をさらりとまとめて、鬱病で戦ってるエンジニアや他業種の方が鬱病から離れる参考になればと思います。

その前に僕の病歴について。

  • 発祥:2008だか2007の/1月
  • 薬:たくさん
  • 薬もらわなくなった日:2014/2/6

ではいってみましょう。ちょっとエミネムさん口調で。

長いので数エントリにわけてかくかもしれません。

ことの始まり

そうだな・・・まずあれは雪の降る福島県だった。

俺がガキのころから世話になってたじいちゃんが死んじまったんだ。一族の中では一番かわいがってもらってたし、じいちゃんにブログ教えたりインターネットの世界を教えたのも俺だった。じいちゃんはいろいろ気にかけてくれてたし、電話もしてくれた。だが俺はじいちゃん不孝なことにまったく電話とかできなかったんだ。

理由はいろいろあったと思うが、当時俺は成長著しいベンチャーにつとめていて、仕事にいっぱいいっぱいだった。しかも23にしてチームでは最古のメンバー、唯一全体を把握できているのが俺だけという鬼っぷりだった。忙しすぎて、周りを意識する暇がなかったというのもあるかもしれない。

一月、東京の会社に戻った俺はそのときの会社でとてもよくしてくれていた人事のMさんと大阪に出張にいった。Mさんはとてもいいひとで、若い俺が仕事でテンパって周りから怒られ、ミスをしたりしてひっそり会社の隅で泣いてたりすると、どこでそれをかぎつけたかしらないがやってきて肩をたたき「お前大丈夫なのか?」と優しく声をかけてくれるひとだった。あの人がいなかったらあのとき俺はどうなっていただろうか、本当に感謝してる。

そのときに彼は言ったんだ。「お前、辛そうに見えるんだが精神的には大丈夫なのか?」とね。

俺は若かったから、いまいち言っていることがわからなかった。とりあえず辛いことを話して、それから出張から戻ったときに病院にいった。横浜の病院だ。先生は優しげだったが、その先生がいまでもよかったのかはわからない。だが、今振り返ると俺は鬱病じゃなかったかもしれないと自分でさえ思う。辛かっただけなんだ。

その先生は俺の話を一通り聞いた後「鬱病の一歩手前ですね。薬と診断書出しておくので、会社には一ヶ月の休みをとらせてもらいましょう」ということを言い出した。一ヶ月。しかたなく俺は受け入れた。だがそれがよくなかった。

俺がそうなったとき、周りは本当に心配してくれた。会社のみんなも、仕事のうらみつらみなど一個も言わず、きちんと休んでこいと送り出してくれた。

本当にありがたかった。

だが、今思うと落ち込んだのは原因はじいちゃんの死と仕事の反動だったんだろう。もしかしたら鬱だと思い込んでいて、仕事はできたかもしれない。そしたら今とは結果がちがっていたかもしれない。

そう思うんだ。

休息生活と入院

ところが俺は薬を飲み始めてから一気に体調は悪化した。

手足が震え、筋肉が硬直したりすることがたまに起きるようになった。気分は落ち、眠りに入る回数が増えた。当時大学生だった弟と服を買いにいったとき、新しい靴の靴ひもを俺は結べなかったらしい。一緒にラーメンを食べていて、箸をうまく握れず、口が硬直して食べれなかったらしい。そんな俺を見て、弟とおかんはこう思ったそうだ。「ああ、こいつはもうずっとこうなんだろうか」。あのとき絶望的な気分になったと聞いている。本当に悪かったと思う。

ちょうどそのとき俺は14のときからかかっていた先生がいたから、診てもらうとどうやら薬の副作用らしい。体重も増え、60前半だったのが70半ばになっていた。

新潟の病院に入院した俺は減薬と治療を始めた。だいたい10日ほどで薬を離れ、危ないものは離れることができた。

だが鬱病の問題がのこる。まだ根本的な解決はしていないのだ。

しばらくして、医師からすこし強い薬を処方され、社会復帰を許可された。

六年前を振り返って思うこと

現役で働いているやつらは、ある瞬間自分は鬱かもしれない。と思う瞬間があるかもしれない。

鬱だとしても、薬を飲んで悪化する場合がある感じがする。俺は薬を飲んで「ああ、改善された」と感じたことは一回もない。

逆に辛くなることばかりだった。

結局復帰しても体調不良で断続的に会社を休んだり、仕事をきちんとこなせなかったりでみんなの信頼を失い、俺は四年つとめたその会社をやめることになった。次に転職した会社でも、薬を断ち切って望んだが別の医者から変な診断をくだされ処方された薬を馬鹿真面目に飲んで、わずか数ヶ月でやめることになっちまった。

だから薬を飲みながら鬱病と戦いながら社会にでて働くってのはめちゃくちゃ大変なことなんだ。だからといって薬を外して完治してから社会復帰しようとすると俺は今まで六年間ずっとニートだったことになる。それはさすがに無理だった。だから選択肢は一個しかない。薬を飲みながら正しいドクターに見てもらいながら、社会で一生懸命戦っていくことだ。事実俺はそうしてきたし、その中で様々な人に助けられてきた。何度も挫折したが何度も立ち上がれた。それは周りの助けがあったからだ。

だからといって仕事をきちんとやって完遂していくやつらがいないわけでもない。薬を飲みながら、治療を続けながら、それでも仕事を完璧にやっていく根性のあるやつらもいる。世の中のすべての社長さんは鬱病と薬と戦っている社員を見捨てないでやってほしい。

長くなったので別エントリにするぜ。

二社目を数ヶ月で退職した俺はいったん福島に戻り、半年間の休養生活に入る。

そこから怒濤の治療生活が始まった。

(んで、長くなったので続きます)