転がりまわっている男の顔面をジースターの蹴りがおそう。
「がぶ!」
なんだか分からない悲鳴をあげて、男が仰け反る。
そして次の瞬間にはその腹にジースターが拳を見舞っていた。
内蔵が潰れるようなぐしゃ、という音が響いた。
続いて右頬をナイフの柄で殴り飛ばすと、両方の拳がどんどんその中年男の身体にぶちこまれていく。
そのたびに血があがり、あたりに飛び散っていく。
リリーは後ろでその姿を見ていた。
なんとか立ち上がり、ドレスの胸元をなおし、ジースターを見る。
また襲ってくる吐き気に耐えながら、その変わり果てた姿をみた。
なんとかしなくちゃ・・・・・・・
よろよろと立ち上がり、その背中に抱きつく。
そして引き寄せ、動きを止める。
「・・・・・・やめてよ」
ジースターが殴る寸前で手を止めた。
中年の男はすでに顔面は陥没していて、ぴくぴくと痙攣している。恐らくもう長くはあるまい。
血まみれのそれをまるでこわれた玩具をみるような目つきで見下ろすジースターに、リリーはすがるような気持ちで呼びかけた。
「・・・・・・・ヒトは殺さないで。あんたはもっと優しいはずだよう・・・」
なんだか言葉が変になっていたが、とりあえず構わずに続ける。
「それ以前に、殴る事も怒ることも出来ない人間だよ・・・・・。どうしてこう簡単にヒトを殺せるの? 殴れるの?」
「......」
どん、とジースターはリリーを乱暴に引っぺがすと、床に叩きつけた。
再び背中から落ちて息を詰まらせる彼女を尻目に、ジースターは踵を返して歩き始めた。
すでに靴底にも血がついているので、足跡もつく。
後ろ姿は以前とはまるで別人のようだ。
そこから出て行こうとする。
が、リリーは構わず呼んだ。
このチャンスは無駄に出来ない。
「ジースター」
ぴた、と彼がドアから出て行く前に動きを止めた。
その背中目掛けて言う。
「・・・・・・・・殺せないんでしょ」
リリーは笑いながら言った。なぜ笑えるのか自分でもわからない。
嘲るように笑みをうかべ、腹の底から湧きあがってくる衝動にを身を任せた。
「・・・・・・・・他の女のヒトやそのおじさんは殺せても、あたしは殺せないでしょ」
「・・・・・・・んだと?」
ジースターがこちらを振り向いてくる。その目はいままでリリーが彼とつきあってきたなかで一番冷たい目だった。
それに打ち負かされて泣き出したくなるのを必死でこらえながら続ける。
「・・・・あんたにはあたしを殺すことが出来ないんだよ!」
リリーがそう叫んだ瞬間、ジースターがナイフをもってコチラに近づいてきた。その目は以前自分と一緒にいてくれた彼ではない。
まるで別な他人をみているようだった。
(怖い・・・・・・・・)
がちがちと歯がなるのがわかったが、それでもリリーはジースターから視線を外さなかった。口元は笑っていることに気付く。まだか。自分は。
彼の目を見据え、そこに昔のジースターを見出そうとする。
彼の腕が伸びてきて、こちらの首をつかんだ。
顔が近づいてきて、鼻先数センチのところから血の臭いのする息をはきつけてきた。
「オレが、お前を、殺せないだって?」
その声は今までで一番冷ややかな声だった。
リリーは手が震えているのがわかったが、それを背中にまわしながら、言った。
「そうだよ・・・・・・・」
声が震える。
「あのとき、ジースターはあたしのことを好きだっていってくれたんだから・・・・・・知ってる? 好きなヒトを殺すことは、好きなヒトのために死ぬより辛いんだ・・・・本当に・・・・・・・・自分の気持ちぐらいわかってるなら・・・・・あんたはあたしだけは殺せないよ・・・・・・なにがあったって・・・・・・」
なにを言っているか自分でもさっぱり、いや、それ以前になにを言いたいのかすら分かっていなかった。
そもそも【切り裂きジャック】を前にして自分にできることなどない。
がくがくとくる指先の震えを必死で隠そうとしたが、リリーの身体はやっぱり正直だった。
目が霞んできたかとおもうと、涙がこぼれた。
「あんたが・・・・・・あたしのことみてさ・・・・・どう感じたかなんて考えるつもりもないけど・・・・・・少なくても、あたしはあんたが好きで・・・・・・・あの言葉だってそんなウソのつもりじゃなかった・・・・・できたらいいなって本気で思ってた・・・・・できたらこのヒトなら・・・・・っておもった」
ぶつぶつと細切れになる間、リリーの目からは涙が絶え間なく流れてくる。感情の奔流が流れ出てくるようだった。
「あんたはさ・・・・・・・なんで裏切るの? なにを裏切ってもいいからさ・・・・せめて信じているやつの気持ちぐらい考えてやってもいいんじゃないの・・・・・せめて自分が好きなヤツの言葉ぐらい・・・・信じてやろうとか思わないの・・・・・?」
言葉は続く。
リリーは必死でなにかを伝えようとした。
だが、うまい言葉が出てこない代わりに、どうでもいいような言葉がずらずらと出てくる。なにをいおうとしたのか、なにを伝えようとしたのか。
もうわからなくなって、ぶつぶつと・・・・・・・・
ジースターがこちらの首を握る手に力を入れると、ナイフを振りかぶってきた。
「言いたいことはそんだけ?」
ものすごい速さでナイフが眼前にせまる。
リリーは思わず目を閉じた。
でも、やられるならそれも本望だったりした。
死ぬことは殺すことより簡単だから。
だが、そうはならなかった。
横合いから伸びた手がジースターの腕を掴んだのだ。
「なあ、ジースター。そこまでにしとけよ」
クラレンスだった。
そしてその手が素早くジースターの胸元にあてがわれる。
そこでくくっとなにかを描く真似をした瞬間だった。
ジースターの目が見開かれる。
そして彼の身体は吹っ飛び、窓の外にまで飛ばされた。
リリーは呆然とそのアクションをみていることしかできなかった。
「な、なにを・・・・・・・」
クラレンスは首を振ると、言ってきた。
「なにをやったかって? 簡単さ。彼の中の【切り裂きジャック】を取り除こうとしただけさね」
リリーは素早くドレスを直すと、立ち上がった。
「追わなくちゃ・・・・・・」
「そうだね。まだ完全に根は絶っていない。しばらくして回復したらあいつはまた人殺しを始めるね」
またわけのわからないことをぶつくさと呟いている彼に、リリーは言った。
「・・・・・・とめるんでしょ」
「そうさ」
クラレンスはこちらを無視してさっさとドアから出ていってしまった。
呆然とその背中を見送る。
なにはともあれ、あれをとめることはできそうにない。
本格的に殺すことに走ったならば、完全に殺されていたからだ。
彼はジースターの中になにかがひそんでいることを知っているのか。
それとも、こういうことをさせている本人が彼なのか。
リリーはふたたび震えだした右手を押さえ込み、急いでクラレンスの後を追った。
ここで終わりにしたい。
どんなことになっても。
最後、ドアから出るときに、ぐしゃぐしゃになって、変わり果てた姿のメアリーの死体が目に入った。
彼女はなにを言おうとしていたのか、よくわからないけども。
「――――――ありがとう」
この言葉を置いて、リリーは夜中の通りへと繰り出した。
かくしてこの事件ももうすぐ終わる――――――――