最近考えるのだが、漫画やアニメと違って、社会人に大事な「手段を選ばない」って、「自分の中にやってもいいがやってはいけない禁じ手をやらない」ってことなんじゃないかと最近思う。
これ、エンジニアに限った話ではなくて、社会人全般に言える話だよなって思ったので書いておく。
例:ポケモンバトル
ポケモンの技で四つ選択肢がある。その構成は自由に決めることができ、どのタイミングで使うかも自由だ。
僕はリザードンが好きなのでリザードンを出して、その四つが「かえんほうしゃ」「つるぎのまい」「くさむすび」「だいもんじ」だった場合、相手が水ポケモンだったとき、かえんほうしゃを使うかなというのを考える。
相性悪いんでくさむすびでいくか、レベル帯が同じなら手持ちのピカチュウに入れ替えるとかする。
ここで選ばなかったのは「敵にかえんほうしゃをする」だということになる。
社会人になんで言えるの?
相手に口喧嘩を挑む、詰める、発言の機会を奪う、そういった選択肢を社会人として「やる」「やらない」って選べると思ってて、これは仕事関係なく人間関係でもたとえばむかつく相手がいる時に、グーで殴るとか包丁で刺すみたいな選択肢が浮かんだとしても、「それを選ばない」って選択肢を「行うことができる」っていうのがすごーく大事だと僕は思ってる。他の人をみて、そう言った僕が選ばないような選択肢を選んで実践している人をみかけたりすると「この人はわざとやっているのか、それともその選択肢を選ばないことができないのか」を考えることがある。
これはポジティブな方にも言えてて、例えば今回僕Webサービス作ったけど、人によっては「ユーザあつめて会社にする」みたいなことを選んだかもしれない。ただ僕は今いる会社で結果だしてみんなに喜んでほしいから、サイドプロジェクトにそこまで時間を投入する選択肢を選んでない。
ここでは、なにかイベントを発生した時に、あまりポジティブとは言えない選択肢が「できる」ときに「やらない」を選べることについて書いている。
親に教育された選択肢を捨てる
なんでここで親の話がでてくるのかってことがあるけれど、個人的には多いに関係していると思ってて、子供のときからどう教育されてきたか、大人になって親から離れることができたかっていうの大事だなって思う。そのときに与えられた選択肢、親が選択していた選択肢は自分の体に染み付いていて、それこそ自分より弱い立場の人間(子供であったり部下だったり)にしてしまうんでないかねえというのが僕の仮説ではある。
子供ってのは敏感なもので、僕の経験的に親が明示的に口で言わなくても、「こういうことをすれば怒られる」「こういうときに暴力を振るう」というのを覚えていってしまう。最終的に「こういう時は怒っていい」「こういう時は暴力を振るっていい」になる。当時僕はまだてんかんだとわかる前、持病の発作で食べ物を落としてしまうことがよくあったのだが、その度に怒られていたので、「発作が起きる -> 怒られる」とずっと思ってた。そうではないと分かった時は安心したが、あのまま生きていたら病気であることをみじめに思い、倒れた人に対して敵意を向ける人間になっていたかもしれない。
僕は最近親離れをするようにしてて、物理的に親に会わないようにするのではなく、親が与えた考え方、選択肢を捨てるということをしている。これすっごい大事で、育て方・教育って正しいものもあれば間違った行動をすることもあったんだよなって思う。親も一年生だし、そういうもんだろうというのはいまなら理解できる。僕子供いないけど、親の立ち位置を考えるとなんとなく想像はできる。
今捨ててる親の考え方は「掃除と皿洗いのレベル」。個人的には親に求められていたレベルを1週間に一回より、自分ができるレベルを毎日やるのがいい。
社会人になって学んだ選択肢を捨てる
こっちがまた結構厄介で、 大体の人は20以降に社会人になると思うんだけど、「こうすれば成功する」という成功体験を積んでしまうと、大体それを選ぶようになる「比率」が高いように感じる。
僕はエンジニアなので、たとえばプログラムを書いていて言語的なアンチパターン、DB設計などのアンチパターンについて学ぶこともおおかった。その辺りのアンチパターンは学習すれば捨てられるので、親離れの文脈に比べたらすごく楽だと思う。「昔はこれがよくなかったが、今のフレームワークはこれがいいんじゃ」というのは普通にある。
問題は人間関係の方で、「人に対してこういう接し方をしてはいけない」「会社で他の人にこういうことをしてはいけない」みたいなやってはいけないことを選んでしまい、それで成功してしまった人たちをみることがあった。「経験なんて関係ない」っていうことを聞くけれど、ここが経験関係あるところで、経験がたりないと選択肢を選べずに、無意識に他人を貶める選択肢を選んでいる場合がある。それが大きい判断になればなるほど、「間違った選択肢を選ぶ」ということの影響範囲が大きくなる。
大切なのは、「今の自分が影響を与えられる範囲で、過去の成功体験にとらわれず、今ベストな選択をする」ってことな気がするなあ。
今の会社ではそんな間違った選択をしている人がいないので、半年を安心して迎えることができたというのはある。会社選び大事。
ちなみに20年社会人やってきて僕の経験だと「気に入らない同僚を潰して追い出すために、普通やらないことを選択し続ける同僚」に遭遇して、彼の話を聞いていて、「やだなあこの人と仕事したくないなあ」って思いながらも一緒のチームで仕事していて、案の定僕が彼の次のターゲットになり想定通り僕は病んで休職しそのままやめるっていう経験をした。
「選択肢を取らない」があるべき姿だが「自分の都合の良い状態にするためにあえて選択し続ける」という人間もいるということを目の当たりにした。衝撃だった。
あの件は僕の心に深い闇を落としたので、それなら「あなたと仕事できないので、辞めてください」って言ってくれればよかった。僕は「本当に僕にできることはないですか?力になりたいので、教えてください」って言ったと思う。
まとめ
僕はどんなに自分が気に入らない人間に遭遇しても、その人を傷つけ、病ませてしまうような選択肢をとらない人間でありたいなと思う。
フリーレンじゃないけど、将来女神様の前で、「僕は社会人として生きてきて、一人も同僚や部下を病ませたり潰したりしないで生きてくることができました」って言えたらいいなと思う。