Episode 3 : Girl of Dreams



 暗闇の中で、何かと何かが接続される音が響く。続いて、小さな音。
 何かのスイッチが入れられたのだろう。瞼の向こう側で白い光が瞬き、アレシェンカの瞳孔を突き刺した。
 うっすらと目を開けると、ベッド脇に女性が一人立っていた。背中まである長い赤毛の女性だ。美人だが化粧っ気がない。
 こちらの頭に接続されていたヘッドセットを取り上げると、彼女はこちらを見下ろしながらいってきた。
「おはようアレシェンカ。気分はどう?」
 視界にうつる彼女の顔を見上げながら、アレシェンカは意識を覚醒させた。
「まあまあ」
「いまがいつかわかる?」
 しばらく間をおいてから、上をみたまま西暦と日付を答える。彼女は頷いてこちらに手を差し出してきた。
「立てる?」
「……頭ががんがんする」
「私の名前はわかる?」
「エレナ……エレナ・ロマンチェンコ」
「そう」
「今度は」
 相手の手を握って上半身を起こす。肩口から指先まで漆黒に染まった左腕を見つめ、それから左目を指で抑えた。
 小さく息をつきながらアレシェンカはつぶやいた。
「今度は何を忘れたの? 何をするの?」
「いつも通りよ。いまあなた事件の顛末だってわからないでしょう?」
「担当するんだったらそういうの……覚えておいたほうがいいとおもうけど」
「それは誰の意見?」
「知らない。言ってみただけ」
「文句があるなら局長にいいなさい」
 そういってエレナは机の脇にある棚から白い服を取り出してきた。それをこちらに差し出してくる。
 手を伸ばしてそれを受け取ると頭からかぶるように体を通し、アレシェンカは立ち上がった。そして足首ぎりぎりまでうずまるような長さのスカートをみながら、口をへのじにまげて息をつく。
「ワンピースは嫌い」
「文句いってないで働きなさい」
 あきれたようにエレナが椅子に体重を預けた。
 椅子がこすれる音が部屋にわずかに響いた。













 ダンシング・アンダー・ザ・レイン
 003










 昼休みの後、午後の練習に戻ったフランカに付き添うために、アレシェンカはスタジオの方に移動した。
 バーを使った準備運動の最中だった。ストレッチを行った後、生徒たちが教師の声にあわせてスタジオの真ん中に移動していく。
 目の前で行われるレッスンを眺めながらアレシェンカは今回の"目覚め"た時のことを思い出していた。エレナに色々説教された気がする。あまり覚えていない。
 眼前では片足でバランスをとりながらアラベスクのあとグランジュデ。それらはアレシェンカの知らないものばかりだ。一歩間違えば骨や筋肉、アキレス腱を痛めつけそうなポーズを生徒たちは軽々とこなしていく。どこか懐かしい松ヤニの匂いが室内に立ちこめ、彼女達が動く度に汗が飛び散る。
 その中でもフランカの動きは目立っていた。体格は中の中ぐらいだが動きが軽々としていて、力強い。均整の整った手足が完璧な曲線を描くたびに思わずみとれてしまいそうになる。
 彼女に羨望の念を抱かないわけでもない。自分も彼女と年齢は変わらないのだ。もしかしたらハイスクールに普通通り通って、こうして何かをやっていたかもしれない。
 どこか沈んでいく気持ちに見切りを付けながら、アレシェンカは小さく息をついた。
「羨ましいのか?」
 後ろから声をかけられる。エドアルドだ。
 彼のほうを視線だけで振り向くと、小さく口の端をつり上げるようにして笑ってみせる。
「すこしね」
「まざってみたら? アリーならできるよ」
「こんな全身能力強化したダンサーがいたら苦情くるよ」
「ははは、そうだね」
 彼が軽く笑ってみせてくる。黒い服の二人がスタジオにいると、どことなく違和感がある。隣には練習を見に来たらしい母親達が何人か立っていた。
 <白鳥>の音楽が流れ始める。ステップ。
 アレシェンカはフランカをじっと見た。見れば見るほど、彼女が遠い世界の人間だという事実が迫ってくるようだった。


 書類の整理があるからといってエドアルドは先に帰っていった。本当かどうか疑わしかったが彼がいたところでどうにかなるわけでもないので、一応そのままいかせてやる。しばらくしてから午後の練習が終わったフランカがこちらにやってきた。
「おまたせ。ごめんね」
 その目は笑っていない。表情は普通だが明らかに不機嫌そうだ、アレシェンカは思った。かといってこちらからどうすることもできないのだけど。
「お疲れさまです」
 タオルを彼女に手渡す。それを受け取りながらフランカは顔をしかめてきた。
「あんた、いくつ?」
「……二十歳です」
 こちらの答えにフランカは疑わしげに目を細めてきた。
「本当は?」
「十六……」
 仕方ないので正直に答える。自分の表情にでる嘘をついたときの僅かな変化。
「今度は嘘はついてないのね。同い年じゃん。なんで敬語なの?」
 荷物をまとめながらフランカが尋ねてくる。その問いかけは酷く淡々とした声音。妙な背中を撫でられるような悪寒を感じながら応えた。
「一応ボディーガードという関係ですし」
「普通にしゃべってよ。話しにくいから」
「ん……了解です。でも、うちの人間がいる場では敬語で話します」
「はいはい」
 つんつんした態度だ、と思った。いきなり嫌われただろうかと不安になるが、嫌われたところでこちらは彼女を守らなければならない事に変更はない。24時間くっつく以上対象のことはある程度好きにならなければならないと思う。
 荷物を肩に背負ったフランカが歩いていく後ろにアレシェンカはついた。黙ってとことこと歩いていく。踵がリノリウムの床を叩く音が廊下にひびいた。
 廊下はそれほど広いわけではないが、壁際には歴代の有名なバレエダンサーの写真が飾ってあった。エリザヴェータ・ゲルト、マイヤ・プリセツカヤ、と名前が書いてあったがアレシェンカはよく知らない。自分が浮世離れしすぎているのだろうか。
 と、しばらく廊下を歩いたところで不意にフランカが振り向いてきた。
「ねえ」
「ん」
 視線を戻して聞き返すと、半眼でこちらをみてくるフランカの顔があった。身長はアレシェンカの方が高いので見上げられる形になる。
 表情を浮かべずに目を細め、フランカは言ってきた。
「きまずい」
 確かに、と納得しながらどこか理不尽な言葉に黙り込んでしまう。廊下で知らない女性にすぐ後ろをだまってついてこられたら確かに気まずいかもしれない。
 アレシェンカは頭をかくと、フランカから目をそらして廊下の壁にある写真に目をやった。
「そんなこといわれても……」
 語尾が小さくなっていく。割り切って接することができるのならそれはそれで楽なのだが、今回は相手が悪かった。接し方に関しては特に制限されているわけでもないからアレシェンカからすれば微妙に困る。
 戸惑いを隠さずに顔に出すと、困っていることが相手にわかるように伝える。
「仕事なわけだし……後ろつくのはあたりまえ……」
「だったらなんか話してよ」
「なにかって……どんな話がいい?」
「そうねー。なんでもいいよ」
「なんでも……」
 逆に困ってしまう。アレシェンカは流行に詳しいわけではないのだ。服の事やブッフェのことだろうか。駄目だ。思いつかない。
 再び前を向いて歩き出したフランカの後ろを歩きながら、アレシェンカは頭をかいた。
「そういわれると困る……かなあ」
「どうして?」
「んーと……こういう会話が、すごくひさしぶりだから」
「なによそれ」
「あたりまえの、とか、そんなかんじ」
「そう」
 素っ気ない返事を返してくると、フランカは早足で歩いていった。その後ろを着いていきながらアレシェンカは鼻をすすった。何を話そうか考えたがなにも思い浮かばない。そもそも同年代の子と会話する機会等、いままで自分には与えられてこなかったのだ。
 彼女は更衣室の前までやってくるとドアを開けた。それからこちらを見てくると、
「ねえ、この中までついてくるの?」
 と、尋ねてくる。その表情と態度にあからさまな嫌悪が含まれていたので、アレシェンカは心の中でため息をつきながら顔で笑ってみせた。
「いや、廊下でまってます」
「……敬語やめろっていってんのに」
 苛立ちを隠さない声でそう呟きながら半眼でこちらを睨みつけてくると、フランカは更衣室の中に入る。続けてドアが音を立ててしめられた。
 その音にすら苛立ちがこもっているように感じられたので思わず身を引いてしまう。
「やれやれ……」
 廊下の壁に背中を預けると、アレシェンカは天井に向かって呟いた。
「だいぶ、こう……聞いていたのとちがうなあ」


 ++++


(なにあの子)
 素早く着替えを終えたフランカは更衣室の窓から外に出ると、学校の庭を出口に向かって歩いていった。こうでもしなければあの少女はこちらをずっとつけてくるに違いない。
 黒いコート、黒い帽子。歳は十六。
 あまりに不思議だった。
 そもそも自分とそれほど歳が変わらない女の子がボディガードにつけられるなんて。馬鹿にするにも程がある。もちろん屈強な大男だったりしたら二十四時間歩くのも厳しい訳であるが。
 フランカはそのまま校門をくぐると通りを大股で歩いていった。珍しく晴れの陽気だけあって市街地はそれなりににぎわっている。こちらの横を通る人を傍目に眺めながら、ふとフランカは頭を抑えた。
 どうというわけでもない。なにかが脳裏をよぎる。
 頭が痛む。

 通りをそのまままっすぐ歩いて家に向かう。
 いつも通りの感覚だった。快晴のしたのアルバート通りは相変わらず観光客や市民でにぎわっている。そしてそのままいつも通り地下鉄に乗ろうとして駅の入り口に向かう。
 階段に足をつけたそのとき、手にひんやりしたものを当てられた。
「え?」
 口元を思わずひくつかせる。ぱっと後ろを見ると黒い革手袋がフランカの手首を握っていた。
 力をいれて地下鉄とは反対方向に引っ張られる。かなり後ろに引きずられたような感覚がしたが、実際は1メートル弱だった。その手の主はこちらの耳元に口を寄せてくるとささやく様に伝えてきた。
「黙れ」
 静かな恫喝が耳朶を打つ。腹腔の底から冷え込むような感覚がフランカを襲う。
 それはどこか東方訛りのあるロシア語だった。声の質から相手は若い男のようだったが帽子を目深に被っているので人相はよくわからない。次の思考にはいる間もなくこちらの下腹に小さなナイフがあてられていた。逃げ出せない。
 これがぐさっとなったら痛いだろうなあ。と心のどこかで考えながら背筋を這い上がる悪寒を抑え、相手に分かるように必死に頷く。このまま殺されては敵わない。
 こちらの反応を確認すると、相手は空いたほうの腕でフランカの身体を抱きかかえ、そのまま地下鉄駅から離れた方へ歩を進めた。半ば強制的に相手についていくと人通りが少なくなってくる。やがて人通りが少なくなったところでこちらの腕に手錠をかけてきた。
 革手袋の感触が鉄のひんやりしたものへ変わる。それがますますこちらの緊張を助長した。
 校長と警察の人間が言っていた言葉が脳裏をよぎる。そしてどうしようもなく迫ってくる現実がフランカを襲った。悲鳴をあげたいがそれもできない。
 しばらく歩いた路地裏に、黒い車が一台止まっていた。隣の男は慎重にその車に近づき後部座席の窓をたたいた。
 窓が開いて東洋人の女が顔を出す。こちらも同様の黒い男物のスーツに身体を包んでいたが、帽子を被っておらず頭髪は長い黒髪だ。
 彼らはフランカの分からない言葉でなにやらやりとりする。そしてそのまま車の後部座席のドアが開く。
「乗りなよ」
 こちらの後ろにいつのまにか移動した先程の黒い服の男がこちらの背中を押してくる。ただぼんやり突っ立っていたフランカはバランスを崩して車の中に倒れ込む。とりあえず抗議だけでもしてやろうと顔をあげた瞬間、車体を轟音と振動が襲った。
 前の座席に座っている女がなにやら叫んでくる。みるとフロントガラスに大きくヒビが入っていた。車のボンネットに何かがぶつけられたのだ。
 さらに飛来するその物体は、巨大なドラム缶だった。
「……ちっ」
 懐から拳銃を取り出し、フランカの後ろにいた男がそれを飛来物に向ける。が、女がふたたびこちらに理解できない言葉でそれを静止した。中身が可燃性のものであることを危惧したのだろうか。
 次の瞬間乱暴に背中を蹴り上げられ、フランカの身体が車の中に押し込まれる。シートの中に倒れ込みながら外をみると、男が横からなにやら衝撃をうけて突き飛ばされていた。もんどりうって相手が倒れたところに見知った顔が現れる。
「大丈夫? 怪我ない?」
「…………」
 アレシェンカ。
「すぐ終わる。待ってて」
 そういうと彼女はこちらの腕を掴んで車の中からひっぱりだすと、左手で器用にこちらの腕にかかっている手錠の鎖を断ち切ってききた。車と反対側の壁に背中をつくこちらを尻目に、アレシェンカは車の運転席の窓に左手を突っ込んだ。どんな力量で押しやられたのか、簡単に割れないはずの車のガラスがあっさり砕け、次の瞬間には席に座っていた女のシャツをアレシェンカの腕ががっしりと掴む。
 その腕には破片は刺さっておらず、それどころか痛めている様子もない。
「あなた、何?」
「お前こそなんなんだよ!」
 叫んできたのは隣の男だった。のど元を抑えながらよろめいて立ち上がってくる。
 そちらを見ながらアレシェンカは目を細めるのがフランカに見えた。
「こっちの科白。連続殺人犯は君?」
「ちげーよ! あとそいつロシア語しゃべれないんだ。離してやってくれよ」
「……」
「話しようぜ。別にその子に危害加えようと思ってたわけじゃないんだ」
 ナイフ押し付けて脅迫しておきながらなにをいうか、と思ったがあえてなにも言わないでおく。見るとその男はかなり息を切らしていた。
 呼吸を整えつつ彼が立ち上がる。警戒に背中を強ばらせながらフランカはアレシェンカに視線を移した。映画でしか見ないような眼前の光景に喉を鳴らす。
 しばらくしてから、アレシェンカが手の力を抜いた。相手の女が力なくへたりこむのを見てから彼女は小さく肩をすくめてみせてきた。
 どこかあきらめたようなその仕草にフランカの不安が増し、疑問符が頭の上で踊りまわった。そんなこちらに反して相手の男が安堵したように笑った。
「それじゃ……」
 そのあとの科白は聞こえなかった。
 フランカは三人に踵を返すと、一目散に地下鉄駅にむけて走り出した。
 それが何のための反応だったかはよくわかっていない。
 説明するなら、なんとなく。だろう。
「フランカ!」
 後ろからアレシェンカの叫ぶ声が聞こえてくるが振り返らず返事もしない。
 ただその場から逃げ出したくて足を前に運ぶ。人ごみをかき分けて地下鉄駅の階段を一気に下り、そのままの勢いで丁度停車していた電車にのりこみながら、息をゆっくりと吐いた。口の中で悪態をつくと同時に頭を抱えてしゃがみ込む。
(なんで?)
 理解できない事情が自分の身の回りを錯綜していて自分を混乱させる。周囲に悟られないように息を整えると電車の扉に背中を預けた。
 自分の隣に一緒に乗ってきたと思しき大きな犬がいたが、今は構っていられない。ただ電車の揺れに身を任せながら、フランカは泣き出したくなるのを必死にこらえた。
 家につくまで、妙な緊張感が身体にまとわりついてはなれなかった。




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