飛んだ。また飛んだ。
『ランフォ! 右にロール!』
その指示に返事は返さず操縦桿を切る。前方を敵機が横切っていく。
スロットルを押し上げて燃料をエンジンに注ぎ込む。
口の中だけでぼそりと呟く。それが聞こえたのか相手が聞き返してきた。
『なんかいったか?』
「なにも」
端的に返すと、操縦桿を切って指示通りに動作をする。そのままバレルロール。
フラップダウン。下に敵機。
機銃を放って翼を破壊。相手がふらつく。さらに高度を稼いでからピッチダウン。空中で円を描くように相手の後方から回り込むと機銃を放つ。敵のエンジンが爆発するのを見てからロール。場所を離れてから空を回転。そのまま高度を下げていく。
戦いは終わらない。
まだ終わらない。
LEONARDO -- Dark Horse
002
時刻は午前九時四十五分を刺している。朝帰り直後のフライトだったのでレオナルドはやや眠気を感じたがそれもどうでもよい。隣ではサリーが普通に立っている。彼女は彼女で眠くもないようで全く外には出してこない。
報告が終わった後に上司から逆に質問を受けた。
「体調はどう?」
「え?」
上司からなげられた不意打ちに対応できずレオナルドは思わず目を丸くする。こちらの対応がおかしかったのか、くすりと笑うと上司はゆっくりと発音してきた。
「体調」
上司ーーサーシャ・ノースランドは椅子を回転させて右肘をデスクに寄りかからせながらこちらを見てきた。その視線から逃れるように足下に視線を落とす。
すると隣からこちらの頭をぐしゃぐしゃとやりながら隣からサリーが言ってきた。
「いやー、こいつ最近遊びすぎなんじゃないですかねー?」
「あそんでねーっつーに」
言い返す。その二人の様子をみながらサーシャが続ける。
「外出禁止にしてるんだから、当たり前でしょ」
その科白に気まずさを感じながらレオナルドは渋面を作った。隣ではそれを楽しむようにサリーが目を細めている。口元はうっすらと笑みさえ浮かべている。
それに気づいているのかいないのか上司は書類の端をとめると言ってきた。
「了解したわ。とりあえず向こうに動きはなしってことね。他になにかある?」
「大丈夫です」
「下がってよいわ。あ、レオだけ残って」
「?」
サリーが急ぐようにその場をそそくさと離れていく。半眼で彼女の方を見ながらレオナルドは小さく嘆息した。こちらが怒られることをまるで予想しているようなその動きに苛立ちさえ感じる。
ドアがしまって彼女の顔が見えなくなると、サーシャはこちらを見てきた。とくに怒るわけでもなく普通の表情だ。
一体なにを言われるのだろうと息を止めていると、静かに彼女は切り出してきた。
「シーナがね」
「え」
なにかきついことを言われるのではないかと思っていたためか、心をなにかに照らされたような感覚にいきなり襲われる。顔をあげるとサーシャはどこか優しげに笑っていた。
「彼女、近くの病院に搬送されたんだって」
「病院? どこのですか?」
「だから、近くの病院。あそこしかないでしょ」
そういうと彼女は椅子を半回転させて外に視線をやった。彼女の示す場所が最寄りの空軍御用達の病院であることに間違いないが、レオナルドはそこにシーナが運び込まれたことはいまいち腑に落ちていない。
頭に浮いてきた奇妙な思いつきを口に出してみる。
「シーナが派遣された戦闘区域って、この近くだったんですか?」
だがそれをサーシャはあっさり否定してきた。その視線はこちらではなく窓の外にむいたままだ。机の上にあげた右手の人差し指が、こつこつと書類を弾いている。
「んん、違うわ。シーナはうちの配属になってるから、一番近い病院に搬送されたってだけ。移動に耐えられたんだから結構身体は良くなってきているんじゃないかしら」
事実を淡々と伝えてくる。なにが言いたいのかレオナルドには掴めなかった。でもここに数年勤めていると分かってくることもある。
この上司が"何を言いたいのかわからないこと"を話し始めたら大抵仕事とは関係のないことで自分に話し辛いことを話そうとしているのだ。
「行ってみる?」
やっぱりか。
「大佐、知ってるじゃないですか」
「ええ。まあね。だから聞いてみたの」
この上司相手になにかを言うのは、遊園地にあるような巨大な風船の中に放り込まれてそれを内側から割ろうと努力するようなものだった。相手はこちらの全てを把握していて、こちらが把握している相手の部分はごく一部、というような。
しばらく間が置かれる。サーシャが再びこちらを振り向いた時、その顔に冗談半分という雰囲気はなく、仕事の話をするときに見せる真摯な表情が張り付いていた。
「実はね、シーナはちょっとしくじっちゃったらしくて、かなり......なんていうのかな。精神的にやられているんだって」
「落ち込んでるってことですか? 鬱とはちがくて?」
「それとは違うみたいね。会って話したわけじゃないから、私もそこはよくわからないの」
そういうとサーシャは脇にあるコンピュータにいくつか単語を撃ち込んだ。しばらくしてレオナルドの脇に置いてあるプリンタから紙が一枚でてくる。
「私はあとで行くつもりだけど、私だけいくより誰か先に行ってもらったほうがいいわよね」
それには答えずレオナルドはプリンタからでてきた用紙を手に取ると小さく嘆息した。そこに記された場所は勝手知ったる建物だったが、そこにいるのが彼女となるとどこか因果なものを感じてしまう。
そしてなにより、サーシャが。
眼前の上司に半眼を向けると口を尖らせてみせる。
「大佐それ、俺の気持ち知ってて言ってますね?」
「ええ」
にっこりと彼女は笑ってきた。レオナルドはそれが耐えられない。
すぐにでもここを出て行きたかった。
「わかりました。いってきます。適当に会って、適当に帰ってきます」
「今日の夜に待機開始だから、それまでに戻ること。それじゃよろしく」
仕事があるならこんなこと教えなきゃいいのに。
そんなことを小さく思いながら、そしてそれがサーシャには既に筒抜けになっているであろうことを考えながら地図をたたんでポケットにいれると、レオナルドは踵を返して部屋をでた。
でもきっとあの顔は、そしてこれから自分が向かおうとしていることは、なにか別な意味を持っていることを薄々感じていた。
++++
レオナルドが部屋をでて扉がしまると同時に、ジャックは司令室脇の部屋から続く扉を開いた。もちろん彼とサーシャの会話は全て聞こえている。
「ホントによかったんですか? あいついかせて」
「ん」
こちらをみてくると彼女は書類を適当にファイリングした。恐らく自分に話が筒抜けだったことも既知の上だろう。
「いいと思うわよ。レオ最近元気ないし」
「そういう意味ではなくて」
そこで一旦息を止め、ジャックは言いたい事を頭の中で整理すると続けた。
「シーナの回復に悪い影響がでるんじゃないかって、心配です」
「そう?」
「ええ。俺はあまりあいつは行かせたくなかったです」
サーシャの机の向かい側にあるソファに腰掛けながらジャックはそういった。上司とはいえあまり敬意を示さなくても許してもらえるのはサーシャだからこそだろう。最も彼女もあまりに不遜な態度を取るような部下には容赦しないが。
各基地の統率の仕方はそれぞれの司令官のやり方に大きく左右される。以前ジャックがいた基地の司令官は戒律に厳しかったが、サーシャのやり方は比較的緩い。恐らく空軍内で一番やり方が柔らかい司令官なのではないだろうかと思う。
ファイルを机の端によけるとサーシャは椅子の背もたれに体重を預けながら口を開いた。
「他に適任がいないもの」
「判断だったんですか?」
「ええ」
彼女はこくりと頷く。要するにどの程度の回復状況か、調べるために彼をやったということなのだろう。だがそれでもジャックは納得がいかない。
「怪我の回復なんて、いくらでも耳に入ってくると思いますけど」
「そうね」
「ならどうしてあいついかせたんです? 俺だっていわれれば動いたのに」
「うーん。説明しろといわれると、難しいわね」
言いたい事を隠すように彼女は一旦間を置くと、小さく笑みを浮かべてきた。視線はこちらから外してこなかったので説明できないのではなく、自分に説明することが果たして正しいことかどうかを決めかねているのだろう。
だがさして時間をおかずに彼女は続けてきた。
「シーナの精神状態が知りたいの。飛べるのか。飛べないのか。どのくらいケアが必要なのか。本当にあの子が復活できるのは、怪我だけが障害なのかどうか」
「どういう事です? あいつの気分知るくらいなら誰でもいいような気がしますけど」
「そうなんだけど、どのくらい知りたいかによるわ。怪我や健康状態は病院から報告が入るけど、あの子が何を思って何を考えているかなんて、なかなか聞こえてこないから」
そこで一旦科白を切るとサーシャは続けてきた。
「レオはね、いつもまっすぐ話すから嘘はつかないし、感情を隠すのがとても下手だから。だからシーナにも強がっていけないし、戻ってきて私に話すときも嘘は話せないひとなのよね」
「はあ」
「だから会って、話して、あの子の気持ちをすごく聞けるんじゃないかってかなり期待してる」
「俺だって嘘いいませんけど......」
こちらの返答に彼女は手を振る。
「それは知ってる。誤解しないで欲しいんだけど、これは他の皆を信用してないわけじゃないわ。シーナ、意地っ張りだからシュート君がいったら確かに色々話すかもしれないけど『絶対大佐には言わないで』みたいなことを言ってそうで。それだと困るのよね。色々と」
「ああ。言いそうですね。確かに」
病院でシーツを被って包帯にくるまれている彼女を思い浮かべながらジャックは頭を抱えた。確かに自分が言って話を聞いたらそういうことも言いそうだ。サーシャのことを悪くは思っていないだろうが、時期が時期だけに負の言葉が出てくる事は想像できる。
でもふと考える。これは、不安だけなのだろうか、と。
黒い霧に包まれた不可思議な感情が隣にあって、自分はそれを確かめようとせずそれどころかわざとそれから目を逸らしている、そんな感覚がどうも拭えずジャックの不安に拍車をかけた。
そんなこちらの気持ちを知って知らずかサーシャはとなりのコンピュータのキーボードを叩きながら軽く言ってきた。
「まあ、半分私事半分仕事みたいなものだからそんな神経質にならなくていいわよ」
「了解です」
端的にいつも通りに返事を返す。いつも通りなのだ。
その筈。