Episode 3 : Without me




 朝日が眩しく、カーテンを閉め忘れたことに気がつく。
 これで目が覚めるのは珍しい。
 隣にはアビーが寝ていたので、むき出しの胸板を軽く拳で殴りつけてやる。寝息を立てていた彼が変な声をだして頬を歪ませたので思わず笑ってしまった。
 壁に寄りかかりながら近くにあったシャツを切る。ベッドを降りて、窓から下を眺めた。格納庫の方から僅かに整備の音が聞こえてくる。今日これからどこかに向けてフライトがあるのだろう。
 どうか、全てが無事でありますように、とシーナは祈った。
 昔から、誰かがいなくなることはどうしてもなれないのだ。

 ++++

 異動後初めてのフライトにしては刺激の強い方だとは感じた。シーナは淡々と報告し、それをサーシャは静かに聞いていた。
 説明を終えると、彼女は頷いてこちらを見てきた。
「ありがとう。大変だった?」
 ええとっても。あなたの娘さんのせいでね。
 そう言いそうになるところだったが、シーナは感情とは正反対に軽く笑ってみせた。
 なんでもないことを伝えるように。
「問題ありませんでした」
「何か懸念点はある?」
 手元の書類に目を通しながら彼女がそう尋ねてくる。気になる点といわれるとたくさんありすぎてどれを言おうか迷ってしまうが、慎重に言葉を選んでシーナは続けた。
「カテリーナの言動が少しだけ。任務中に軽卒な通信は控えるべきです」
「伝えておくわ」
 片方の眉をあげながらサーシャは返事してきた。特になにか不快に感じているわけではなさそうだ。
「失礼します」
 そういって部屋をでた。もし喫煙家だったら煙草が欲しくなる時はこんなときだろうな、とふと思う。空を飛んでいる時も彼らは喫煙したくなるものなのだろうか。
 そこまで考えてからシーナは自分の下腹部に手をあてた。最後に関係を持ってからすでに二ヶ月が経とうとしているが、いまだにきていないことを思い出す。誰かに話すことを考えると軍規に触れてしまうからなにもできない。
 頼れる身寄りもいるわけではないから、どう動こうか困ってしまう。
(来月が最後かな......)
 決断はしなければならない。だがそれもまだしたくなかった。
 どっち付かずの感情が自分を揺らす。吐き気を感じることはまだないが、もしそうだとしたらもうすこしで来ることになるだろう。黙っていられるのもそれまでだ。
 自分は前線にいたかった。それは今のシーナが一番望むことだった。

 次の日もカテリーナと任務についたが、今度はドッグファイトに陥ることはなかった。二機とも普通通りに出撃し、経路を回って普通通りに帰還した。
 彼女は相変わらず陽気で、無邪気で、とても明るい。口調はまるで少女の様で年相応とは言い難かった。以前も自分もこんなだっただろうかと思うが、新しい場所に放り込まれると人見知りの気が出てきてうまく感情を出すことができない。
 それからしばらく偵察任務が続き、ある日フライトから帰ると格納庫の前でレオナルドが煙草を吸っていた。
「やあ」
「あなた喫煙者?」
 あからさまに顔をしかめてみせる。そのこちらの表情をみてとったのか彼は懐から携帯灰皿を取り出して吸っていた煙草をその中に入れた。
「名前聞いたぜ。シーナっ」
「......」
 明るくそういってくる彼に対して目を細めると、口を結んで無言でその横を通り過ぎる。
「ねえねえ、ムカついた?」
「べつにぃ」
 カテリーナの口調を真似て間延びして返してみせる。だが自分の口元は笑っていないのに気づく。
 そのまま宿舎に向かって歩いていく。が、レオナルドはそのまま後ろを着いてきた。
「なんでついてくるの」
「邪険にすんなよ。ご飯ぐらいいいじゃん」
「いきすぎ。親しくないのにサシでご飯いかない普通」
「別に恋愛対象ってわけじゃないからいいじゃんか。いこうぜ」
 そういうとレオナルドはこちらの腕を掴む。そして引っ張ると一気に走りだした。
「ちょっと!」
 戸惑いながら叫ぶが、彼はどこ吹く風だ。
「おいしい飯屋があるんだって。ずっと気になってたけど一人じゃ行けなくってさ。歓迎会だと思って付き合ってよ。おごるからさっ」
 おごられるらしい。
 食堂の食事も無料なので別に断ってもよかったのだが、基地の外にある料理屋というのも興味がないわけではなかった。ただ、男性と二人きりと言うのが気になる。
 まあ、今更か。
 ジープにシーナを押し込み、自身も運転席に乗り込むとレオナルドはハンドルを握り長い道を走らせた。基地の外は夕焼けで赤く染まっていて、どこか平原が寂しげにみえた。
 何も言わずに窓から外を眺めていると、彼が横から言ってきた。
「無理矢理だったかな」
「かなりね」
「怒った?」
「別に」
「ムカつかせたかったわけじゃないんだ。おいしいもん一緒に食べたかっただけ。うまいもの食えば機嫌なんてすぐ治るよ」
「あのねえ。君のせいなんだから。ちょっと考えた方がいいわよ」
「あはは。よく言われる」
 軽く笑うその横顔はとても反省しているとは思えなかった。それが彼の良いところでもあれば悪いところでもあるのだろうと思う。ドアに肘をかけながらぼんやりと空に視線をあげた。
 飛行機が二機、雲を作りながら飛んでいくのが見えた。基地の方角から飛び去っていくの機体は先程シーナが乗ったものと同じ型だった。
「フライト多いわね」
「最近はな。敵が基地や施設を発見しにくい場所に作る様になってきてるから。俺もこないだとんでもないところから撃たれて死にかけたし」
「だから偵察任務が多いのね」
「そうなるかな」
「まあ、戦わないで済むならそれにこしたことはないわ」
 その科白が本音かどうかは、自分にもわからなかった。

 店に到着するやレオナルドはビールとハンバーガーを二つずつ、勝手に頼んだ。シーナは自分の腹を撫でながら思わず小さな声で彼に尋ねた。
「そんなに食べれる?」
「シーナはウェイトとか気にするのかい?」
 店員にメニューを返しながらさも不思議そうに聞き返してくる。それに対して口を結ぶと、
「別に。あと名前で呼ばないで」
 とだけ返事をした。
「シーナって『別に』って多いよね」
「そんなことないわ。だーかーらー名前で呼ばないでっていってるでしょ」
「いいじゃん。シーナ」
「......」
 相手にからかわれていることを感じながら無言で抗議する。
 しばしの沈黙。
 その視線に気づいたのか、沈黙に耐えられなくなったレオナルドが視線を伏せて小さく呟いてきた。
「ごめんって」
「許さない」
 そっぽをむきながら軽い口調で言ってやる。店にはうっすらとクラシックが流れる。リラックスできる様にという配慮だろうが、あまりシーナは好きではなかった。ロックの方がまだ性に合う。
 こちらの言葉にレオナルドがすこし気まずそうにしているのを横目に見て、シーナは唇の端を僅かにあげた。彼も反省するのならしばらくそのままにしておくのもよいだろう。
 運ばれてきたビールを口に運びながら窓の外に目をやる。僅かに開いた窓から入ってくる風が涼しい。喉の奥でビールが良い感じにはじけてくれてとても気分がよかった。
 と、店に似合わないベース音が突然聞こえてきたので目をやると、外に大きな車が止まるのがみえた。
「なにあれ」
「ん......ああ......」
 シーナの呟くような問いかけにたいして、顔を伏せて気まずそうにしていたレオナルドが顔をあげる。
「あー、無視無視」
 運ばれてきたハンバーガーとポテトがのった皿を引き寄せながら彼は小さく言った。
「あまり関わり合いになりたくない連中なんさ」
「誰?」
「陸軍」
 ああ、とシーナは頷いた。そのまま見ていると車から屈強そうな男達が数人降りてくるのが目に入った。シーナ達が着ている藍色のジャケットとは正反対の赤茶けたジャケットを着ている。
 その中の一人と目があったので視線をそらし、レオナルドに尋ねた。
「このあたりに陸軍の基地なんてあったんだね」
「正反対だけど。一応あるんよ。まあ、なんていうのか......中間地点の町がここだから顔はたまにあわせるけど......なんつっていいのか」
「仲は良くない?」
「そう。それ。まあ、あまり率直にいうとうちの司令官良い顔しないから気をつけて」
「了解」
 そう答えるとシーナは自分の皿上に盛りつけられたポテトをつまんで口に運んだ。眼前のレオナルドは顔を伏せてビールのグラスに口を付けていた。その表情はこの場をどう切り抜けるか悩んでいる万引き少年のようだった。
 彼の困惑ぶりにシーナは軽く息をつくと、
「別に普通でいいんじゃない?」
 と言った。レオナルドはそれに頷くと後頭部を掻きながら、
「あー。うん。そうなんだけどさ......」
 と、そこまで彼が言いかけた時後ろから陸軍の一人が声をかけてきた。金髪碧眼の端正な顔立ちの下に、アメフト選手のように分厚い胸がある。機関銃の弾丸くらいなら弾き返しそうな筋肉がジャケットの間から見え隠れしていた。
「よお、レオナルド。今日は女連れか?」
「......なんだいギル」
 そのギルと呼ばれた男はレオナルドを上から威圧的に見下ろすと笑ってみせてきた。
「いんや、見かけたんで挨拶にな。こないだうちの連中が世話になったしな」
「あれはスコットがやったんだよ。俺じゃない」
「しばらくは空軍は外出禁止ってきいたような気がするが、俺の聞き間違いかな?」
「え、そうなの?」
 それに驚いたのはシーナだった。二人が話している間に思わず口を挟んでしまう。その声に二人の視線がこちらに向いた。
 こちらを舐め回すように眺めながら、ギルは何かを企んでいるような笑みを浮かべた。
「なんだ。お前にはもったいねえ。美人さんだな。名前なんてんだ?」
 上から見下ろされ、おもわず背中がぞくりとする。
 まあ、空中戦なら撃っているな、と思う。一応口に出さないが。
 シーナがなにも答えないでいると、すかさずその間にレオナルドが割って入った。
「彼女は新しく配属されたひとだよ。外出禁止は彼女には適用されてない。だからは彼女についてきただけ」
 どうも違う気がするがこの状況で事実を言ってもいられないだろう。ギルの目が再びレオナルドに向かう。
「へえ」
「もういいだろ。さっさといけよ」
「わかったよ。そう怒んなって」
 げらげらと下品に笑うとギルは仲間を呼び寄せて手近なテーブルに集まった。そこには娼婦と思しき女性もいたがあえて目はあわせないでおく。
 疲弊した様子でレオナルドがため息をつく。
「ごめんな」
「なにかあったの?」
 半分程かじったハンバーガーを置きながらシーナは尋ねた。テーブル脇の入れ物からナプキンを取って口元を吹くとギルの方を視線だけでみやった。
 あえてそちらを見ない様にしているようで、レオナルドはカウンターの方に顔を向けながら、
「前俺と仲間が喧嘩しただけ。ちらっとね。空軍はひ弱、陸軍は筋肉馬鹿と相場は決まってるのに」
「馬鹿みたい」
「そういうなよ。まあそんで酒場......つっても別の場所だけど、そこで一悶着やっちまったってわけさ。それがなんかしんないけど司令部までいっちまってこの基地は空軍が外出禁止。陸軍は外にでないわけにいかないから罰金......らしいけどよくしらん」
「へんなの」
「ひどくない?」
「別に。それよりそういうことなら場所変えるか、帰ったほうがいいんじゃない?」
 そういうとシーナは手元に残っていた最後のポテトをつまみ上げたところだった。腹がくちくなってきたのでようやく酒に手をつけられる気がする。
 レオナルドはこちらをじっと見てくると、
「シーナはどうしたいんだい?」
「私は......どうしようかな。明日もフライトがあるなら帰りたい。でもこうしているうちに別に飲むなら悪くないかなって気になってきた」
「なら飲みいこうか」
 ようやくこちらの口から良い意見を聞けたからか、彼は笑顔を浮かべた。伝票を手に立ち上がるのにあわせてシーナも席を立つ。ビールが飲みかけなのが気になったが、彼が早くこの場を立ち去りたい様だったので何も言わずにその後に続いた。カウンターで手早く二人分の支払いを済ますと、出口に向かう。
 と。
「待てよ。つれねえなあ」
 いつの間に回り込んだものかギルがそこに立っていた。思い切り迷惑そうな顔をしながらレオナルドが言う。
「どけよ。俺は帰るんだ」
「まあまあ。こっちはこないだのお礼もまだしてねえんだ。うけとってくれてもいいんじゃねーの?」
「うっさいなあ。お礼なんていらないよ。いま病院で寝てるやつに着払いで送ってやってよ」
「悪いが俺は現金派でね」
 そういうと彼は指を鳴らした。それを合図に後ろで男達が数人、席を立って近づいてくるのが見えた。
 これはやばいんじゃないか。
 シーナは軽く口元をひくつかせながら半眼であたりを見回した。
 懐に手をいれる。
「ねえ、ちょっと」
「なんだよ」
 こちらの呼びかけに二人が向いてくる。ギルの視線がこちらの胸元にきた瞬間を狙ってシーナは取り出したスタンガンを彼の額に押し付けた。
 蛙がつぶれるような声を出してギルが仰け反る。その隙と間を狙ってシーナはレオナルドを引っ張って走りだした。後ろから陸軍の連中が飛びかかるように駆け出すのがわかった。
 急いで駐車場にでると自分たちのジープに駆け寄る。レオナルドを運転席に押し込み、自分も乗り込もうとしたとき、ジャケットの首もとを掴まれる。
「おいねーちゃん。そりゃねえだろ」
 次の瞬間押し倒され、シーナはギルの腕によって車に押し付けられていた。
「無関係のくせにでしゃばるな」
「陸軍はホントに筋肉馬鹿が多いのね。脳みそも筋肉になってんの?」
 のど元を強く圧迫されているにも関わらずシーナの口は滑らかだった。その科白を聞いたギルの額に血管が浮かぶのが見える。だがその威圧感を受け流しつつ腰の後ろに手を伸ばすと、そこにあったものを掴んだ。
 だが。
「どけよギル」
 シーナがそれを引き抜く前にレオナルドが車の中に隠してあった自分の拳銃をギルに向けていた。銃口はずれることなく彼の右目を狙っている。
「......こんなことしていいと思ってんのか」
「それはこっちの科白。シーナから手を離せよ。関係ないだろ」
「関係あるさ。お前んとこの女だろ」
「じゃあなおさらだ。お礼は今度あいつといつでも受け取ってやるから。離せ。さもないと俺がまたお前に貸しを作ることになっちまう」
 レオナルドはそういうと銃のスライドを引いた。ギルと彼の目線がシーナの頭上でぶつかり合い、二人の間の空気が張りつめる。
 やがてシーナの喉を締め付けていた手が緩められ、ギルが鼻で笑いながら身体を離した。
「わかったよ」
「さっさと下がれ」
 そちらに銃口を向けたままレオナルドが言い放つ。シーナは彼の横を通って空いていた運転席に腰掛けた。
「シーナ、運転は?」
「できるわ」
「じゃあ出して。今すぐ」
 レオナルドが銃をひく。最後にギルの科白が耳に入った。
「これで済むと思うなよ」
 それには返事せず二人が乗ったジープは駐車場を出、ひたすら続く大きな道路を走り始めた。

 基地までの道中を半分ほど走ったところで、シーナの胸が大きく高鳴った。心臓とは違う、なにかが駆け上がってくる。
「......ッ!」
 それは胃酸とともに食道を駆け上がり喉を焼き、一気に口までやってきた。
 窓の外を向いて、ハンドルを握ったまま嘔吐する。
「うげえええええッ!」
「おい!」
 車道のど真ん中に車を停止するとシーナはドアを開いて外に転がるように飛び出した。そして道端の草むらにふらつきながら近寄ると残っていたものを思い切り吐き出す。
 息をきらしながらうずくまっていると、後ろからレオナルドが近づいてくるのが足音で分かった。
「なあ、平気?」
「ああ、うん。その、女性ならではの」
「なんだよそれ」
「きくな。デリカシーをもて」
 そういうとシーナは立ち上がった。レオナルドの方を振り向くと、こちらの顔色に彼が目を見開く。
「あとは俺が運転するよ」
「ありがと」
 小さな返事をするとシーナは助手席のドアを開いてシートに体重を預けた。大きく息をつきながら茫洋とした視線を窓の外に向けていると、膝の上にペットボトルが放り投げられるようにして渡された。
 ミネラルウォーターが入ったボトルだった。まだ冷たい。
「飲みなよ。飲めなくても口の中濯いだほうがいいぜ」
「ありがと」
 蓋をあけて一口目で口を濯いで道路に吐くと、二口目で飲み込んだ。
「どうしたのこれ」
「そこに自販機あったから買ってきた」
 こちらを見ないでそういうと彼は車を発進させる。外を風が突き抜けていく。
「どうしたもんかね」
「サーシャに報告する?」
「しないよ。俺よくわかんないし。それに」
 ちらりとこちらをみると、レオナルドは真顔で言った。
「言ってほしくなさそうだから」
「......」
 シーナはそっぽを向くと、ミネラルウォーターを口に含んだ。そして小さく息をつくと、
「あなたって女心をわかっているのか、わかっていないのか、よくわからない人」
 と言った。それにレオナルドは眉をしかめると、
「分かるひといんのかなあ。すくなくても俺はわからないかな。いちいち考えるの、面倒じゃん」
 とさりげなく言ってきた。
 風が前髪をなびかせ、彼の十字傷が一瞬だけ見えた。



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