クーが部屋を出て行ったのを確認した後、アザミは起き上がって床に落ちていた自分の服をきた。そして机の上に放り投げてあったグローブを掴むとそれを着ける。手首まで念入りに引っ張ってから手の甲の部分でベルトを締めた。
そこで軽く息をつく。空に行く直前の気分は二つ。
勢いで飛び立つか、気持ちを整理して羽ばたくかのどちらかだ。
考えを切り捨てると意を決してフライトジャケットの襟首を掴んで羽織る。机の引き出しを開けて拳銃を掴むと、ジャケットの内側に備え付けのホルスターにしまい込む。銃がこぼれ落ちないように口を締める。
そして首もとまでジッパーをあげると大きく息を吸った。煙草を一本吸いたかったが基地が禁煙なのであきらめる。とりあえずライターと煙草を胸ポケットに突っ込む。
机の上でずっと音楽を流しているラップトップを閉じると、イヤホンを引き抜いた、イヤホンはどこにでも持っていくもので、アザミはこれで飛んでいる最中に音楽を聴くのが好きだった。だが音に夢中になっていると無線や敵機の接近を見逃すかもしれないから、よほど安全圏でないかぎりやることはない。それもポケットにいれる。
一通りの準備の後、アザミはいつしか自分が無心になっているのに気づいた。考え事はいつも通り並ぶが、感情は浮かばない。独り言の一つも言えないのだろうかと自問する。
ふと手紙のことが思い浮かんだ。結局聞きそびれてしまったが、これが終わったらどうするのだろう。
出撃前に不謹慎だとは分かっていた。だがそれは頭を離れない。
アザミは一度手をとめた。最後の装備、ヘルメットの上に手を置いてしばらく思考を巡らせる。
最後、どうするわけでもなく。
準備をいつも通り終え外にでると、空は漆黒の夜。そして満天の星。懸念していた曇り空はこの数時間で見事に晴れ渡った。
轟音とともに格納庫の扉が開き、黒い機体が姿を見せる。照らすのはわずかな照明と月光のみだ。そちらをみるとその僅かな光を浴びながら、黒色の装甲をまとった戦闘機がでてきた。それが八機。すべて自動操縦で滑走路上を滑る様に移動する。闇を影が動くように、とはこのことだろう。
細長い機体に黒塗りの装甲。戦闘に不利なのではないかと思わせるような外観だが、問題はないらしい。さらに軽量化が計られた外装は従来の機体に比べて機動性は増しているという。オレンジ色の照明に反射するフラットブラック。これらをニコルが設計、製造を指揮したというから驚いた。
それらが移動していく傍でアザミはヘルメットを抱えたまま煙草を銜えていた。建物の一つに寄りかかりながら、明らかに場違いの喫煙だったが誰も止めることはしない。まだ自分以外の誰もいないからだ。どちらにしても今ここで一本吸わなければ気が済まなかった。
不意にアザミが寄りかかっている建物の扉が開き、フレミングとストルウェルが出てきた。そちらを見ながら煙を細く吐き出す。
基地の中央を通る長大な滑走路を移動する戦闘機のエンジン音にまぎれて二人の会話が聞こえてくる。
「さすがだね。ニコル昇進させようか。いい人材を育ててくれそうだ」
「人が足んないんですよ。この基地は。現場から彼女外すなら誰か雇ってください」
「委員会に話しておくよ」
「切実ですよこれ。ただでさえメカニックは人材不足なんですから」
「わかってるよ。大丈夫」
そういいながらその視線は機体の方に向かっている。こちらに気づかれないうちにアザミは銜えていた煙草を地面に押し付けてもみ消した。そして吸い殻を携帯灰皿に入れようとすると、
「相変わらず隠れヘビー? ここ禁煙よ」
唐突に横から間の抜ける声をかけられた。何をするわけでもなく視線だけでそちらを見やると建物の角に半分だけ顔を隠し、建物の隙間に器用に入り込んでいるシーナがいた。
アザミからすればここで挙動不審になるとなおさら怪しまれるので特にどうもするわけでもなかった。そのまま携帯灰皿を懐にしまって彼女を睨みつけ、
「うっさいよ。猫女。ってーかよくそんなとこに入り込んでるね」
すると彼女はおもしろがるように目を細め、建物の間からするりと抜け出すとこちらに近づいてきた。
「それはいいとして、せっかくチームを組むんだし、邪険にしないで。あたしが危なくなったら助けてくれることを条件にね」
「誰が助けるか」
「同期なんだし」
「ここは学校じゃない」
「わかってる。それよりどうしたの。顔色がすぐれないみたいだけど」
その科白にアザミは顔をしかめた。視線を地面に落としながら小さいがはっきりした声音で伝える。
「問題ない」
「これから戦争しにいくんだから。懸念は報告しないと」
「問題ないっつってんでしょ」
半ば唸るように、苛立ちを含めた声でそういうとアザミは建物の壁から背中を離して、シーナとは反対方向に歩こうとした。と。
「なんだ、体調悪いのか?」
先程まで離れたところで会話していたストルウェルがすぐ近くまできていた。あまりに唐突だったので思わず目を見開きながら立ち止まる。
細く息を吐きながらやや苛立ちの籠った声音で伝える。
「だから大丈夫ですって」
「大佐。クエンフィールド少尉が体調不良のようです」
「ふむ」
「黙れ」
後ろから敬礼しながら言ってくるシーナに向かって鋭く言い放つと、小さく頭を振りながらアザミは再びストルウェルに向き直った。
「あたしは大丈夫です。出撃させてください」
「今のところ変更させるつもりはないよ。なんかあったか?」
怪訝そうに彼の眉がしかめられる。クーの顔が頭をよぎったがアザミは平静を装いながら、
「いえなにも」
「それなら大丈夫だ」
シーナが小さく息をすする声が聞こえる。アザミは一瞬背中がむず痒くなるのを感じたが何も言わないでおく。
それになんら反応を示すわけでもなく、ストルウェルは先程の戦闘機群が停止している滑走路の一部を示しながら伝えてきた。
「作戦会議だ。集合しろ」
作戦会議に集まったのは八人のパイロット、ストルウェルとフレミングの十人、そしてニコルだった。
アザミを除く殆どの人間が初の搭乗になるため、まずニコルによる機体の説明が行われた。一通りの説明の後、搭載武器の説明になった。アザミはそれを黙ってきいていたが途中から座って聴いているのが辛くなってきた。
「操縦法法は以上。予習してきた内容と変わらないわ。武器は機関銃とミサイル、ミサイルはクロウが六発、スコールが三発。そしてブラスト。これは小さな基地なら一発で吹き飛ばせるから扱いに注意すること。クロウはホーミングしたあと飛行距離が一番長いけれど、スコールは長くないわ。ただし爆発はスコールの方が大きいからこちらは地上の戦車だったり大きな航空機に使うこと」
そこでニコルが言葉を切り、手元の書類をストルウェルに手渡した。彼は頷くとパイロット全員を見回し、
「今回はエリア37のエアプロ基地の殲滅が目標だ。目標のエリア周辺は対空砲が設置されているから低空飛行は避けること。そして連中もうって出てくるだろうから空中戦にはなることが予想される。各自指示されたポイントが今回の目標だが、必ず対空砲とミサイルに注意すること。チームプレーを忘れるなよ」
逃げ出したい気持ちで一杯だった。戦闘が怖いのではなく、この説明を聴いている時間が嫌で。早く戦闘機に乗り飛び立ちたかった。
彼らが言っているのはこういうことだ。可能性のあるエリアにレーダーで捉えられない戦闘機群を送り込み、街の一区画を吹き飛ばすようなミサイルをぶちこんでこい、と。つまり予想は着いているのだ。ただ、どこにいるのかわからないだけで。
そのエリアに火力が集中する。つまり大規模な戦闘が行われるということだ。
ストルウェルが手を振って、全員に向けて尋ねた。
「質問はあるか?」
「こちらの数では相手の数に及ばなかった場合、援軍がくる可能性はありますか?」
手をあげてジャックが尋ねた。周りのパイロットがやや不快そうな表情をする。シーナはいつも通りとばかりに平静を装っていた。
予想された質問だとばかりにフレミングが答えてきた。
「空母シュルートから援軍の用意はされている。ただ、よほど大規模な空中戦にならないかぎりは出撃はされないけどね。僕たちは君たちがそれだけの大軍に太刀打ちできると認めているから」
そこで科白はいったん切られた。その間を狙ってシーナが質問を浴びせた。
「現場の偵察は済んでます? 恐らく地上部隊も配置されていると思いますが彼らの援護は行わなくて大丈夫でしょうか?」
彼女の発言にアザミは思わずそちらを見た。暗にダイヤモンドのことをほのめかしているように聞こえたからだ。
あれは極秘作戦の為、漏らされることはないはずだった。
だがストルウェルは落ち着き払って答えてきた。
「偵察機を三機先行させている。彼らから現場の情報を受け取り、その後各自任務を遂行してもらうことになる。地上の潜入部隊については極秘事項のため答えられないな。他になにかあるか?」
まるで相手がシーナでなくても通じる受け答えだ、とアザミは思った。恐らく誰かから尋ねられることを予想して答えを練っていたのだろう。ミラーのような人間がまた出ないとも限らないから。
あっさりシーナが引き下がったのでどこか拍子抜けしながらアザミは前の暗闇を見つめた。耳にストルウェルの淡々とした説明が入ってくる。
「彼らからの連絡が来るのが十五分後。一番肝になるのは対空エリアの突破だ。そこの情報が届き次第君らが出撃し、中間ポイントで彼らと一時合流。偵察部隊はそのまま帰還になる。君たちは指令に従って対空エリアを突破し、標的を破壊すること」
そういって彼は手をあげた。これでおしまいだということだろう。
「よし、それじゃ解散。各自準備しろ。健闘を祈る」
アザミは息をついた。これで耐えきるのは終わりだ。
それにしても、どうも違和感を感じるのは気のせいだろうか。
++++
大きな翼が黒い空気を切っていく。視界をわずかに白い雲が流れていくのがみえた。
遥か前方を行く二機の仲間との通信はない。
クーは息を吸うとそのエリアーー敵地をしっかりと見据えた。
「対空エリアに入る。高度一万五千。スプリング応答して」
『了解。対空エリアの反応を送る』
中間地点で移動しているアムンゼンから返答がきた。一番高高度で全体を把握するクー、その間で情報の正当性を確かめ、引き継ぎをするのがアムンゼン、一番低い高度で得た情報を上にあげるロウンという組み合わせだ。
あらかじめ用意されていた衛星写真に偵察機で得た情報を重ね合わせ、中央情報部に送信する。
「中央プライム、応答を」
『ストルウェルだ。情報は確かに受け取った。進捗状況を教えてくれ』
「対象エリアの七十パーセント完了しました。対空エリアは対象地域を囲むように扇状に広がっていますね」
『嫌な配置だ』
「このまま直進すれば山岳部に突き当たります。帰還の許可を」
そこまでクーが言いかけた時、焦りに満ちた仲間の声が聞こえてきた。
『デイプロだ......スクリーム、スプリング、応答してくれ!』
まるでそれまで無線がつながらなかったかのような声だった。クーは操縦桿を握りながら下を見る。
「どうした? 聞こえてるよ」
『大群だよ! 大群がきたんだ! あいつらいきなりやってきやがった!』
ふとレーダーに目をやると、眼下に広がっていた山岳地帯の向こう側から、次々と編隊を組んで飛んでくる黒い点が確認できた。
「なんでいままで気づかなかったんだ? こんなぎりぎりまでレーダーに映らないわけがないのに......」
『単純にステルス機能つかっていたんだろ。連中の機体にそんなものが搭載されているなんて初耳だがね。あれはかなり高価だし』
こちらの呟きが聞こえたかどうかはわからないが落ち着き払ったアムンゼンの声が伝えてきた。そしてそれとは正反対に無線からはクロウの悲痛な声が聞こえてくる。
『なに話してんだよ! こっちはやべえんだ! 助けてくれ!』
『いまいく。スクリーム、どうする?』
「敵は何機? こちらからは正確な数はレーダーに映っているだけしかわからない」
『二十機程度かな』
「じゃあ二人は離脱してくれ。中間ポイントで戦闘機集団と合流して。中央プライムには僕が伝えるから、二人は全速で逃げて」
『お前はどうすんだよ?』
「残る。引きつけ役が必要だろ。一緒にいてくれてありがとう。助かった」
そういうと二人との通信を切り、クーは操縦桿を思い切り下げた。手元のいくつかのレバーを押し下げて、機体のモードを変更していく。操縦桿を引いてループをすると、低空でクロウとスコール目掛けて追撃している黒い敵機目掛けて機首を向けた。
「大佐。申し訳ないですけど戦闘機集団の投入を早めてくれませんか? 僕は一旦敵を引きつけて二人を逃がします。その後もう一度上空に退避します。燃料が危険かもしれないので上空に燃料補給のための機体を飛ばしてもらえると助かります」
『お前の独断だけでは支持できない。誰に命令された?』
「フレミング空軍次長です」
そういってあらかじめ渡されていた手元の作戦コードをストルウェルの元に送る。
画面に映ったそれを見たのか彼がため息をつくのが聞こえた。恐らくこれで先刻の会議でフレミングが言った言葉を改めて理解したのだろう。どちらにしても一機失うのにも軍にとっては痛手に変わりない。
『......了解した。ただし明日の午前中に行う会議に生きて出席することが条件』
全てを把握しているとすればそれはかなり気の利いたジョークだと思った。この状況にありながら思わず吹き出しそうになるが、クーは気を引き締めると操縦桿を握りしめた。
「了解です。モードを切り替えるので通信を切ります」
『健闘を』
それが最後だった。機体のレバーを三つ引き上げたあと手前の赤いスイッチを押す。
機体が伝えてくる。
< アクロバットレンジモードに切り替えます >
戦闘開始の合図だった。クーは掌に汗が滲むのを感じながら操縦桿を握りしめた。
多勢を相手にしたドッグファイトはずいぶんと久しぶりだった。